現場で瓦を加工する部分が多いので職人の腕が試される屋根だからです。
屋根を葺く、瓦を扱う。その特殊な仕事への憧れが、この世界に入ったきっかけです。
32歳の時なので遅い方だとは思いますが、同時期に入社してきた人も多くて焦りのようなものは特にありませんでした。
ここ(坪井利三郎商店)に入社するまでは、いろいろな仕事をしました。
高校卒業後は寿司屋に就職したんです。親方が厳しい人でね。
そこでけっこう鍛えられたと思います。
それから布団の訪問販売の営業をやったけど、結婚したこともあり、もっと地に足がついた仕事をしたいと思って自動車関係の仕事に転職。車の塗装をやっていました。
もともと物を作ることが好きだったから、この仕事は合っていたと思います。
杉本 裕二郎
でも景気が少しずつ傾いてきて、安泰だろうと言われていた自動車産業も少しずつ陰りが見えてきた。
たまたま転職情報誌で「屋根を葺く」という仕事を見つけて、“瓦”という響きがいいなと思ったんです。
中学生の頃は大工になりたい気持ちもあったし、この仕事は職人として一生の仕事になると思いました。
“家の大切な部分を作る”ということにも魅力を感じました。
たまたま転職情報誌で「屋根を葺く」という仕事を見つけて、“瓦”という響きがいいなと思ったんです。
中学生の頃は大工になりたい気持ちもあったし、この仕事は職人として一生の仕事になると思いました。
“家の大切な部分を作る”ということにも魅力を感じました。
仕事を覚えるまでは、とにかくがむしゃらにやりましたね。
ひと昔前の親方は寡黙な人が多くて、仕事のやり方を教えてくれることはなかったですね。
親方がやっていることを見て覚えていくしかない。親方がやりやすいように先回りして段取りを組むことが、まずは要求されるわけです。
そうすると現場はうまく回るし、仕事も早く終わる。最初の1年は本当に必死でした。
ひと昔前の親方は寡黙な人が多くて、仕事のやり方を教えてくれることはなかったですね。
親方がやっていることを見て覚えていくしかない。親方がやりやすいように先回りして段取りを組むことが、まずは要求されるわけです。
そうすると現場はうまく回るし、仕事も早く終わる。最初の1年は本当に必死でした。
仕事に慣れてくると、難しい屋根にどんどん挑戦したくなります。
印象に残っているのは、格式が高いといわれる入母屋(いりもや)造りの屋根を施工した時ですね。
入母屋造りは、現場で瓦を加工する部分が多いので職人の腕が試される屋根だからです。
マニュアル通りにいかないたいへんさはあるけれど、そこがまたおもしろいですし、入母屋造りの屋根を葺けることは自信につながっています。
仕事をする上で嬉しいことは、やはりお施主さんに「いい仕事をやってもらってありがとう」と言われた時です。
心がけているのは、屋根が葺き終わりお施主さんに渡す時は、最高にきれいな状態で渡すこと。
当たり前のことのように思われるかもしれませんが、施工することに一生懸命になると心構えとして基本的なことを忘れてしまうことがあるのです。
若い子たちにも、そのことは忘れないようにしっかり指導しています。
印象に残っているのは、格式が高いといわれる入母屋(いりもや)造りの屋根を施工した時ですね。
入母屋造りは、現場で瓦を加工する部分が多いので職人の腕が試される屋根だからです。
マニュアル通りにいかないたいへんさはあるけれど、そこがまたおもしろいですし、入母屋造りの屋根を葺けることは自信につながっています。
仕事をする上で嬉しいことは、やはりお施主さんに「いい仕事をやってもらってありがとう」と言われた時です。
心がけているのは、屋根が葺き終わりお施主さんに渡す時は、最高にきれいな状態で渡すこと。
当たり前のことのように思われるかもしれませんが、施工することに一生懸命になると心構えとして基本的なことを忘れてしまうことがあるのです。
若い子たちにも、そのことは忘れないようにしっかり指導しています。
今後の目標は、職人として少しでも長く現場にいることです。
憧れて入った世界ですから体を壊さずにずっと現役でいたいと思っていますし、この仕事を目指す若い人たちがもっと増え、彼らに技術や心構えなど伝えていければと思っています。
憧れて入った世界ですから体を壊さずにずっと現役でいたいと思っていますし、この仕事を目指す若い人たちがもっと増え、彼らに技術や心構えなど伝えていければと思っています。